活動案内

しなやかな こころ 20周年記念

西尾 公秀
2017.03.12
  飛行機の窓越しに、海の青さに映える濃い緑に覆われた島が見え る。次第に降下をはじめると、椰子の木々が風になびいているのがわかる。もうそろそろ着陸か、と思った瞬間「ドーン」と大きな音が響き、機体が大きく上下にバウンドし椅子から腰が浮いた。無事着陸、一瞬の静寂のあと機内から拍手が起こる。風に煽られたのか、ちょっとしたハプニングだった。タラップを降り滑走路を歩き始めるや否や、じとーっとした湿気が身体にまとわりついてきた。
気温30℃ 、湿度80%以上の熱帯雨林気候がもたらすこの肌の感触が、バヌアツに来たことを理解させてくれる。
  これで5回目、10年間にわたりよくもまあ飽きずに来たものだ。変なもので、「来た」と言うよりは「帰った」に近い感じがする。
もちろん、日本とは気候、風土も違う全くの異国なのだが、不思議にも違和感がない。回を重ね当初の感激も薄らいだせいなのか、自然体でいられる。
  過去3回の訪問では、小学校へのパソコン寄贈とそれに伴うソーラーパネルの電力システム の設置が主な活動だった。これはこれで大変喜ばれた。しかし今回は違った支援をしようとずっと考えて来た。どちらかと言うと、今までは「モノ」の支援が多かったのだが、それを「コト」の支援に切り替えて見たいと思ったのだ。それも、片側通行ではなくバヌアツと日本の双方向に働きかける支援事業を。

  バヌアツは2006年、イギリスのシンクタンクによって「世界一幸せな国」に選ばれたのだが、 なんとその時の日本はというと世界178ヶ国中95位と低迷。物質的な豊かさから言えば、国民の80%が自給自足のバヌアツと、有り余る物で溢れかえる我が国との差は歴然。だがしかし、幸福度は真逆と言っていいほどかけ離れていた。「何故そうなんだろう?」是非このことを日本の小学生たちにも考えてもらいたい。そんな思いがこの10年間、ずっと澱のごとく心の底に溜まっていた。
  そして今回、漸くそのチャンスが巡ってきた。 そこで立てたのが、両方の国の小学生同士による文化交流のプログラムだ。それぞれ互いの生活の様子をつぶさに見合うことによって、グローバルな視点や考えを育て、さらには幸せについて考えてもらおうと言うものである。その方法はと言うと、至ってシンプル。ある小学生の朝から晩までの1日の様子をビデオ撮りし、バヌアツへ持って行って小学校で上映し見てもらう。そして同じように、バヌアツの子どもたちの様子を撮って帰り日本の小学校で上映する、というものだ。
そうすることで、彼らなりに「幸せとは何か」ということについて、自分たちなりに考えてもらえればと思ったのだ。

  結論からすると、今回のこのプログラムは両国の小学生にとても喜んでもらえたと同時に、またたいへん意義深いものになったと感じている。もちろん「幸せとは何か」という問いに対しては答えがある訳でもないし、これは十人十色。それぞれが個々の価値観や感性に照らし合わせ、考えてもらえばいいことだ。ただ一つ、これは万人共通かもしれない、と思うことがある。それは、「幸せになる方法」だ。これは、10年間かけてバヌアツの人々から、改めて学んだことでもある。その方法とは幸せのつかみ方であり、受け取り方と言ってもいいかも知れない。敢えて一言で表すならば、それは「感謝」だ。実のところ「幸せ」はわれわれの周りそこらじゅうにあるのだと思う。しかし残念ながら、それは目には見えない。だから感じることが必要、その受け皿が感謝する心だと教わった。
  そもそも、バヌアツでキリスト教が伝来する以前のプリミティブな世界では、日本もそうであったように自然崇拝、いわゆる八百万の神々が支配する世界観であり、キリスト教と言えど今まで身体に宿っていた魂まで洗い流すことはできない。つまりは、キリスト教徒ではあるものの、自然崇拝も無意識のなかでバヌアツの人々の心の奥底に息づいているのだと感じる。自然、物事、人々など何ものに対しても感謝の気持ちを忘れず、教義に則った神聖な祈りとともに天や神に捧げる。食事の際にしろ歓迎式にしろ別れの際にしろ、いろいろな場面で祈りを捧げる彼らの直向きな姿を見るにつけ、その信心深さを感じずにはいられなかった。

  たとえ物に恵まれないにしろ、彼らから貧しさは一切伝わってこない。そして何時も笑顔を絶やさない。幸せだから笑顔なのではなく、笑顔だからこそ幸せなのだと気付く。どんな些細なことからも喜びを感じ取り、それに対する感謝の気持ちを忘れない。そんな、「しなやかさ」が心の豊かさと笑顔を生む。それこそが、幸せの秘訣なのだろう。

ありふれた日常のこの瞬間、神は細部に宿る。